カテゴリー「日記・コラム・つぶやき」の記事

2017年1月22日 (日)

血液

母が死んで五年になる。
 
結構着道楽だった母の残した小物や服を少しずつ取り出して使っている。
今年は寒くて、
上等なウールのセーターをもってきて着ている。
あたたかいので毎日着ていたら、
左手首の辺りに硬くこびりついた汚れを見つけたので、
今朝手洗いをした。
 
汚れは黒いちいさな塊が2,3.裏側からこびりついている。
「へんなの」
と思いながら、頑固な塊をお湯でふやかしながら
もう、落ちないので爪でこすって削るように洗っていく、
その過程ではっとした。
これは、血液だ。
 
 
 
母は三十年余り透析をしていた。
透析は手首から血を抜いて、腎臓代わりの機械の中をぐるぐるめぐって
また手首に返す、
ということを、一回4.5時間週に三回、一生サボらずにしなければならない。
週に三回針を刺される手首はいくつかの血管を集合させた(のだったか?)
一本の太い血管を作り上げ、シャントと呼ばれるそれを使って、
行われる。
まだ若いころ、母は面白がってシャントの流れる音を聞かせてくれた。
母の手首の中には
ごうごう流れる大きな川があった。
 
透析が終わった後の止血は当然時間がかかり、
ゴムバンドできつく抑えて数時間たっても、
新たな血液があふれることもあった。
その、
5年前の
母の血液。
 
透析が終わったら、一緒に食事をしましょう、
と誘われて、
何度も透析室に迎えに行った。
機械がだんだん小さくなっていくのも
透析の母のお友達が
一緒に年をとっていくのも、
みてきた。
晩年透析がつらくなり先生に「私もう来ない」
というのを、
小学生のPTAのように、「すみません、そうさせてください」
といったこともあった。
 
 
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
 
 
そろそろ、お湯につけた血液は解けただろうか。
おかあさん、
たいへんだったねえ。

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2016年12月23日 (金)

遭遇

飲み屋に入ったら、「あ。」といわれてみると息子の同級生、
あ、カウンターの中にも、もうひとり。
ふたりは小さいころから知っている子ども達。
そして高校からバンドをはじめて今もつづけている。
ひとりは去年道端で数年ぶりに再会して、CDをくれたんだっけ。
もうひとりは、ライブより作品作りに打ち込んでいるとのこと
いかにも彼らしくうれしくなる。
 
思い出話は早々に
今の音楽の話に花が咲く。
 
小学生からみてきて、
まさか、こんな風に再会して
バンドのはなしができるなんて!
 
おかあさん、げんき?などと聞いても、
彼らと話すほうがたぶん圧倒的に面白い。
 
あのころの
彼らの、軍団が大勢で遊びに来て、
家中の食料を根こそぎ平らげていった
喜びを懐かしく思い出した。
 
同時に
本音で音楽を話し合えるようになったことが
うれしい。
こどもって、
あっという間に大人になるねえ
 

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2016年12月21日 (水)

狂った時計(障害は可能性~その1)

 
 
時計が止まったので、放っておいたら
ときどき思い出したように動きたいだけ動いて
またとまり、
動きたくなると動くようになり、
独自の時間を生きるようになった。
 
さっきまで、秒針をぴくぴくさせるだけで
とまっていたがまた動き出し、
彼によると、今は8時30分だが、
一般的には午後1時19分である。
しかも、この時間差は固定ではなく
日々どんどん変化していく。
 
わたしはふたつの時間の狭間で、
なぜかとても開放された気分になっている。
こう、なんていうか
ちいさなタイムワープみたいな。
時間が
とまっているような。
それは自分で
好きなように流せるような。
 

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2013年11月 1日 (金)

三陸の海

すこし時間ができたので、このところずっと先日まで滞在していた三陸の海に気持ちがとんでいた。

海のすぐそばまで山が切り立っていて、湾ほどれもコンパクトに小さくて、砂浜はめずらしい。岩場が多く、いかにも魚がたくさんいそうだ。もう水の澄んできれいなこと。。。ぜひ夏場にいってもぐってみたい。
平らなところはちょっとだけしかなくて、そこにびっしり家や店があったのだ、かつて。。
30メートルとか、40メートルとか言われる三陸の津波。
多くを飲み込んだ海は、しかし、8割がたもとの姿を取り戻しているとも聞いた。

見た事や聞いた事や感じたことが、いまだうまく消化できていない。
人たちのありようも、一様ではない。
すべてなくしたけれど、まだ、いのちもある、海もある、だからもう一度はじめればいいといっていた漁師の人。
津波の後の光景を今でも夢に見る、薬がないと眠れないといったおじさん。
「なにしにきた」と刺すような目でみた地元のお年寄り。
傷ついたままのこころ。
前を向こうとするちから。
音楽でつながろうと、東京から地元に帰ってきたミュージシャンたち。
そして、
海に空に
なくなった人たちがゆるやかな気配となって漂っていて、
愛した人たちを見守っているような
そんなかんじもしていました。

まだしばらく海のそばにわたしもただよっていたいです。

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2013年8月22日 (木)

旧交

八月は懐かしい友達にたくさん会った。

高校一年のとき仲良くなった彼女は、今では一流企業のえらいひと。
わたしのいろんな弱みを知る、手ごわい女。そしてとても頼れる人。に、数年ぶりに会った。やっぱり、わかってくれるんだなあ。。

それから、つらいとき、いつも私の逃避場所になってくれた山梨の友人が病に倒れ、会いに行った。やはり、数年ぶり。同い年の異性の子どもがいて、ふたりは仲良しなので、結婚したら親戚だね、と、浮かれて子どもたちに白い目で見られている。。。
なんとか、げんきになってほしい。

もうひと組、わたしの大切な友人夫婦が山梨にいて、そちらにも、立ち寄る。
彼女の古い友人の訃報にいきあう。
ひと晩、旅立ちについて語り合う。
うん。やっぱり、時々会わないとだめだね。

そして今日、大手術から生還した、60年安保の生き残りのようなオヤジにあってきた。初めて彼にあったのは、19のとき。障がい者の全国大会で、発言していた彼を、ナンパしたのでした(笑)それからの、障がいの子どもたちと、お母さんたちとのかかわりが、若い私を大きく変えました。彼らがあまりにも、強くて美しくて。
そう,そのときの、強かった若き母だった、Mさんも一緒でした。
ああ、かれらも、私の数々の失敗をよ~く知る人たちです。

古い絆は、なにか、ほっとさせられる。

出会えたことと、今あなたがここにいることに、感謝。

夏が、 過ぎていくね。

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2013年8月16日 (金)

戦争

わたしのなかには、優しい気持ちがある。
いのちを愛する母のような気持ち。

同時に私の中には残虐な気持ちがある。
小学生のとき、一人の弱い子をみんなでいじめてるのを見るのが、
ほんとはすこし気持ちよかった。

その自分を確実に認識したとき、わたしは、逃げようとした、が、できなかった。
目をそらせなかった。

自分だけじゃないと、思う。誰の心の中にも、いろんな自分がいて、そのどれかが、たまたま強く現れているだけ。何かの拍子で、かんたんに反対側の自分にくつがえる。

だから、わたしには、みんなが必要。私を支えてくれる。
わたしがわたしのすきな私でいられるように。
みんなの優しい気持ちや、強い想いが、いつもわたしをこの場所にいさせてくれる。
歌っていると、聞いてくれてるみんなの優しい気持ちが波のように私を包み込むことがある。
ひとのやさしさは、すごいエネルギーだ。

でも、やはり私の中には「それ」がある。ひそかに出口を探している。
戦争を思うとき、そういう「連中」を非難してるとき、
ちくちくと私を、内側から刺す。

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2013年8月14日 (水)

永遠の少女

私は長女である。
母の元に一番初めに生まれた女の子は多かれ少なかれ、母との確執を持つように思う。
愛と同じ深い確執。
私の母は寝付いてから亡くなるまでに、たっぷり時間をかけてくれたので、わたしは母との確執を生きているうちにじっくり見つめることができた。
言葉を換えれば、死にそうな母に、娘としてのわだかまりを、ばんばんぶつけていた、ということになる。ひどいもんだ。

母はある意味、永遠の少女であった。
かわいくて、潔癖で、やさしくて、夢見がちで、か弱くて、涙もろく、いつもきれいにおしゃれだった。
彼女にとって、10代半ばから私のやらかした数々の自由すぎる行動は、もうほんと、どうしていいかわからなかったんだろうな。
父はまた、永遠のおぼっちゃまみたいな人なので、母を助けてわたしを、叱る、ということもできなかったし。
今はこんなんなったけれど、わたしだって15とかそのころは、ガラスのハートだったので、私から目をそらす両親にずいぶん傷ついたのでした。

でも、今ならわかる。
母が異質な私を、何とか理解しようとしてたこと、あのころの母が頼る人がいなくて悩んでいたこと。

寝たきりになってからの時間に、私と母は、私が生まれてからの時間をさかのぼり、いっしょにいくつもの糸の絡まりを解いたのかもしれません。
私は何度か若い20代の母の苦悩に出会い、娘のように抱きしめてあげたくなりました。
わたしと母の間にはお互いを大切に思っているという絶対的な信頼感だけがあって、だからひどいことも言えてしまったのかもしれない。

お盆、のしわざですかね。

死んだ人のことを、思い出します。



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2013年8月 4日 (日)

いつか妖怪になる日まで

先日、ばったり、久しぶりの知り合いにあった。
7年越しの癌だった、つれあいを亡くした、という。
最後まで、家で、終末医療の専門家の助けを借りながらもひとりで(!)見取ったという。」
さばさばした様子の彼女は柔らかな表情で、
「私、どこまで強くなるんだろう」といった。
とても優しい顔だった。
こういう女の顔を、私はとても美しいと思う。

生まれくるもの、死にゆくもの、かれらを愛すること。
それらに正面からがっぷりかかわり、
美しい物語も、悲しい涙も、うちに潜む醜さも、憎しみも、喜びも。
みんなみんなうけとめて、どんどん器を深くしていく
しわの刻まれた、使い古された女たちの、
うつくしいこと。

いつか女をこえて、人であることもこえて、
妖怪になる日まで。
私はそんな女を歌いたい。

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2013年7月11日 (木)

失うもの

いつのころからか、失うものの方が多くなった。

かつてあった、あふれるような時間や、無駄に(笑)みなぎっていたエネルギーも。
まわりにいた愛すべき仲間たち、
一緒に暮らしていた家族、や、
一緒に暮らせなかった家族、も。

今は孤独の時間が多くなった。
それは、
かつての私がほしくてたまらなかったものだったのだが。
そしてまだ、
失うということに対しては、これからが本番なのだな、と、身構える。

愛した分だけ、
失う痛みがおとずれる。
でもね、
やっぱり、あいさずにはいられない。
どんなにこぼれてしまっても、また。
大切なものを
にぎりしめていきましょう。

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2013年7月 9日 (火)

夏モード

体が急激に変わっていく。

長年日本の東京に住んでいるので、春、梅雨、夏、のあたりの体の切り替えが意識的になってきた。
夏モードは、私の場合、現実世界をつかさどる脳の部分が夏眠(?冬眠みたいな)にはいっていく。
体は、汗をぐるぐるまわせるようになり、昼はひたすら汗の生産にエネルギーを使う。
夜なりようやく、起きているほうの脳が動き出すが、それは夏の夜の重くもったりした気配の中にかんたんに飲み込まれ長い長い夢のなかで、ひと夏をすごしていく。

今年は夏が長いという。
年をとり、ますます暑さが私の活動を制限する。
活動できなくなった私は、いつしか、気配を感じることばかりしかできなくなり。
ああ、これは、死の床についているときの母のあの感じと、通じるものがあるのかもしれない。。。などと思うのも、夏のなせるわざか。

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