きっとつながっていく
六年前に死んだ母は物語を作る人でした。
小さい頃、私や弟が主人公の話を作って読んでくれたりしたこともありました。
母は美しいものだけを描こうとする性質がありました。
そんな母が私が小学生3年位のことだったか?
10フィート運動に参加することになり。
それはアメリカから原爆被害の映像などを日本に取り戻そうとする、多くの主婦を巻き込んだ動き、であったと記憶しますが、
その頃から家に「はだしのゲン」と、原爆被害者の写真集などが置かれるようになり、私はそれがとても怖かったのです。
「こわかった」と言うのは被害に合われた方に対してなんと心無い思いかということに思い当たるのは少し先のことです。
母はそのあとも美しいものだけを物語にしました。
年頃を迎えた私にはそれが偽善や、ごまかしに思えたのです。
。。。。。
年を経て今、わたしは母が途中までで死んでしまった、
そのことの続きを
無意識につないでいるようなきがすることがあります。
わたしもたぶん、
途中で死んでしまう。
ひとの一人の時間は短くて何かをなすことはできないかもしれないけれど、つないでいく、ことができる。
そんなふうにうたっていきたいとおもうのです。
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