夏の日に。
広島原爆忌が終わり、明日は長崎原爆忌。
亡くなった母は、政治的なことには無関心な人だったけど、
物語を読むのが大好きなのが嵩じて
地域文庫を仲間とはじめ、その仲間に誘われて
「10フィート運動」に加わることになる。
広島長崎の原爆投下後のアメリカが取った映像を
買い戻そうという運動。
だから家には原爆投下後の町や建物、
被害にあった人のケロイドの様子などの写真集があった。
ちいさいころ、それがとてもこわかった。
「はだしのゲン」もあった、それもこわかった。
その母によく似たわたしの娘は
演劇をやりはじめ、ひょんなことから、
「父と暮らせば」を演じることになった。
娘は広島をひとりで訪ね、現地の人の話を聞き
こころを主人公によせていった。
主人公の娘は原爆で、唯一の家族であった父を失い、親友も何もかも失い、
生き残ったことに後ろめたさを感じ、
自分が幸せになってはいけないと思っている。
当時、そういう人がどれだけいたことだろう。
国のために、愛する人のために、
命を投げ出すことが美しいとされた
いくつもの物語、いくつもの映画、いくつもの音楽。
生き残ることを、恥と思うなんて。。。
母から見せられた怖い写真は、わたしの中にずっとある。
娘が心を寄せた主人公も
ずっと娘とともにいるのだろう。
演劇や音楽、物語にはパワーがある。
パワーあるものは利用される。
宗教のように。
戦時中それをこばんだ表現者もたくさんいた。
わたしは自由な中で大好きな仲間と、
いつまでも自分の音楽をつづけていきたい。
今年の8月は
そのことを強く思う。
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