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2015年4月

2015年4月30日 (木)

五月

広げすぎた翼をたたんで休んでいたような日々でした。

外へ外へと向いていたこころが深く内側に向いていた日々、というのかもしれないです。

その結果のソロ、だったような気がします。

本当はほうっておけば内面にばかり夢中になりがちな子どもでしたが

こんな風にライブ活動するようになって

ずいぶん外に向くようになったのです。

。。。。。。

ひとと音を合わせるのは最高の喜びです。

演奏はちょくせつこころとこことではなしができる、

苦手な気遣いも距離を図ることもせず、ダイレクトに。

だからやはり、

この場所をもっともっと、ほしいから

また外に向いていこうと思う。

ああ。

五月が来ますね。

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ソロライブの間奏

インプロも歌も詩も。

みんな同じ自分の世界から出てくるのだから分けるほうが不自然に思えてきていた。

日はライブの前から少しずつ離れていたそれぞれの世界が近づいていく実感があった。その

ことばかり考えて過ごしていたからかも。 笑

ライブのその場に流れる「感じ」との交信をしながら

声とエフェクターでそれをとらえていく、

というソロのときのインプロの集中がひとりの歌までは自然だったけど、

やっぱりバンドがはいると、その延長、でなくて、

別のモードになるのがむずかしかった~。

別のモード、というのがおもしろい、と思えるようになるには

もっと自分に、あんな余裕やこんな練習がいるのだ、とおもいました。

やってから言うのもなんだけど、自分のやりたいことが

よくわかった気がしました。

わたしはいつもわけのわからない衝動だけが先にあって、

あとから「ああ、それがしたかったのね、」とわかるのです。トホホ。。

事前に人にうまく説明できない。

バンドの皆さん、聞いて下さった方たちほんとにありがとう。

いつものうたが違う意味を持って立ち上がる瞬間がわくわくした。

たくさんのがたぴしがあったけれど、

最後の「ウォーレス」を歌ったときは、ああ、この歌、そうそう、

こういう歌なんだよ~って思った。

今は混沌、その中から次の流れが始まってる。

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ソロライブを終えて

ありがとうございました。

60歳までにやってみたいことのひとつでした。

でも、これは始まりだと思う。

聞いた人それぞれが、じぶんのなかで、独自の物語になる。

というようなものを目指しているのかもしれない、

ときづきました。

年を経て、人それぞれに人生がどれもこれも深くすてきなもの、と、

ほんとに思うようになった。

だから、わたしの判断によらない、、

だけでない、

そのひとのストーリィそれぞれが

いきいきとたちあがるような、、、、

ね。

そういうものの媒介になれるようなものをやりたい。

と、思っていたようだよ。 笑

みんなありがとう  感謝。

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2015年4月29日 (水)

KENJI6

ぼくのおおきなからだは戦いにむいている、とおもう。

ぼくの首から背中にかけてはえているたてがみは

戦いをなりわいとしてきたぼくの種族の名残だと、きいた。

ぼくのからだはおじいさんよりもきみよりも

数倍大きい。

皮膚も硬く、力も強い。

。。。。

でも、世の中は変わり始めている。

ぼくのこのからだや、このちからは

果たして今の戦いにほんとうに必要だろうか。

。。。。。。。。。。。。。。。。

きみと出会うまでぼくはもっとシンプルだった。

ぼくらの種族の生き方に

誇りを持って、

信じていた。

今だって、それは変わらないけれど、

ぼくは

とまどうことがおおくなり、

それはすこしくるしい。

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ミュウ6

以前「川」を見たときは

わたしはまだ「家」にすんでいた。

子ども達と、彼らの父親と。

にぎやかで、いつもいそがしく、

子どもの成長は早く

よろこびや悩みや驚きの日々だった。

わたしはとてもみちたりていた。

そしてときどき、

なにかを自分から隠しているようにおもうことがあった。

ある晩ふらりと一人で散歩に出て、

そのとき夜中の公園でそれをみた。

真夜中のだれもいない公園の月明かりにぼうっと浮き上がるように

川が現れた。

ながれはただ法則にしたがってあるべき場所に流れていく、

とかんじた。

わたしはしばらくぼうっとみとれ、

自分の中に流れる

私のほんとうにおもいをはせた。

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2015年4月28日 (火)

川の多い国にうまれた、とおもう。

うちは野川の源流の近く。このあたり国分寺は湧き水がわいて野川に合流している。

ザリガニやえびをとる、ちいさなたのしい小川です。

もう少し南にいけば多摩川がある。ここらではもう、

川幅もあり、ゆったりした流れであるが、

奥多摩のほうへ行けば、つめたいすきとおった、上流の多摩川に出合える。

子供たちと何度も訪れた糸魚川の海に流れ込む姫川は、「姫」といってもたいへん獰猛で

訪れるたびに氾濫の爪あとを見てきた。

山に入ればちいさな沢が透き通った水をつぎつぎとおくりだす。

沢は時おり古くから人の手がはいり、ふもとの田んぼまで山の中をえんえんと水が引かれる。

目に見える川のほかに地下のふかくに、いくつものながれがある。

地下水脈。見えない川の流れ。

とおくの場所と、水脈でつながっている。

見えない川の流れ。

あちらから、こちらへ、運ぶ。

ん?

何を。。

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KENJI5

その日は川原でもういちどおじいさんにであった。

いつのまにか2,3人の小学生がやってきて石をいくつもいくつも川に投げている。

おじいさんに、

やぶのなかでとっていたものをきいてみた。

「かまきりのたまごだよ」

といってみせてくれた。

たまごからかえったばかりのかまきりのこどもは、

かれの服のなかにいる相棒?(と言っていた)の大好物らしい

もうじき初夏には数百匹のちいさなかまきりが、

たまごからでてくる。

そういえば、ぼくも子どものころ、

たまごをとってかえって、いつのまにかわすれていて、

気がついたら1㎝くらいの無数の子かまきりでへやがいっぱいになったことがあったっけ。。

。。。。。。。。。。。。。。。

おじいさんは今、川にそって旅をしているといった。

このへんはすこしおちつくので、

のんびりしてしまった、まあ、のんびりしたってぜんぜんかまわないんだ、

といって笑った。

なにやらぼくまでゆったりしたきもちになり、

ひさしぶりに

やぶにはいってかまきりのたまごをさがした。

なかなか見つからずに歩き回るうち

ぼくの体が大きいので、

やぶのなかに完全にみちができてしまった。

小学生が喜んでやぶのみちをはしりまわっている。

かまきりのたまごはみつからないが、

ぼくは

みちたりてタバコを吸い、

あおいけむりはたかくそらにとけていった。

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2015年4月26日 (日)

KENJI4

川に来た。

この川辺でよくきみとビールを飲んだ。

そうして夜中の道をふらふら歩いた。。。

。。。

川辺のやぶをがさがささせて、

おじいさんがでてきた。

ぼくにきづくと、

浅黒い顔をにんまりさせて「やあ」といった。

そうしてでてきたやぶとべつのやぶのなかにはいっていった。

がさがさと、やぶのなかでなにかを採集しているようだったが。。。

ぼくはまた思いに沈んだ。

これはほんとうに本意ではないが

どうどうとめぐる思いにとらわれている。

ぼくのゆくさきは

砂漠の中の遠い国になりそうだ。

きみに

もうきっと会わないのに

「きみにあえなくなってしまうな」

とかんがえている。

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ミュウ5

また、いた。

銀色の髪の浅黒いからだのちいさなやせたしっぽのながいおじいさん。

このごろはいつも風が強い。

その空中で、今度は寝ころがっていた。

「おう」

といったけど、

私は風にあおられて、そこをとおりすぎ、

「こんにちわ」

といった声はきっととどかなかっただろうなあ。

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

そらのなかで久しぶりに川を見た。

川はこことは少し違う世界を流れているらしいんだけれど、

ときどきこんなふうにこの世界とまじりあう。

わたしたちは

いろんなものと影響しあっている。

目に見えるものはすべてただのイリュージョンであるのかもしれないし

目に見えないもののなかに「ほんとう」がひっそりと隠れているのかもしれない。

けんじくんのようなたたかいの、肉体の、充実のなかにも

わたしのしらない「ほんとう」がひそむのだろうか。

わたしも、そらも、川も、けんじくんも、あまりに違いすぎているようで

わたしは判断を放棄して、ぼんやりした。

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

高い木のてっぺんを揺らした風がどううっとやってきて、

わたしをもっとうえにつれていく。

春の次には夏が来るんだったなあと思い出す。

おじいさんがとおくのほうで、ゆっくりとおきあがるのがみえた。

う~んとのびをして、

ひょろ~んとどこかにとんでいってしまった。

また、

あえるといいな。

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変容

変化がおとずれる。

変化しようとする分子がうまれてうごきだす。

が、まだ大半は現状の中にいる。

現状は変化の直前の進みすぎた発酵のような状態にあるのかもしれない。

表面的にはまだ、しばらくそれが続いていくが、

変化の分子は分裂を繰り返しふえつづける。

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

世界のもうひとつの側がやわらかな春を迎える。

それは目に見えない流れ。

流れは人たちのこころを通って、常に流れている。

わたしたちはもともとつながっていたのではないかと、

おもうことがある。

それはこの流れのせいだろうか。

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2015年4月22日 (水)

ソロライブ

はじめてのこころみ、をする。
ソロ、なんだけれど、インプロやら歌やら使うものを限定せずにひとつながりのものがたりをつくる。
エクペリをゲストに迎えて、参加してもらう部分もある。
と、いうやつ。

アイディアの種だけを持って、あとは当日の衝動にまかせたいです。

今あたまのなかが、麹室になっているようです。
どうかじっくり発酵して、当日おいしいおさけがのめますように。

4月29日(水)

阿佐ヶ谷Yellow Vision   http://www5.ocn.ne.jp/~yvision/newpage2.html

午後7時半から  ¥1500

おちょこソロ「変容」  ~声、ことば、うたそしてロックへ~

   ゲスト 国分寺エクスペリエンス

興味本位でお立会いくだされば幸いです~

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2015年4月17日 (金)

女友達

治療師の友達がやってきて、もうひとり、旅の間いつもうさぎの面倒見てくれる団地の友達がやってきて、具合が悪いからうちでふとんしいて、治療してもらっているが、私は隣の部屋でライブチラシを作っていた。
終わって、わたしはお先に台所で飲みながら、ご飯を作ってるが、二人は治療が架橋に入っている。「う~~~」とか、「あ~~」とか痛がってる。
うさぎがふとんの上でうろうろしている。
治療されてる女に興味津々である。
「キッチンドリンカーじゃん!」と非難される。...
「もうのんでいいじかん~~」といいかえす。
あ~この雑多な感じ、すきだなあ。

4月前半は久しぶりに友人とよくすごしている。集まって一緒にご飯を食べて、げらげら笑って、仕事や夢や男の話などするのだ。

むかしはいつもそこにこどもがわらわらいたのだけれど。今は大人だけ。
それはそれで、話が深くなり、すてきです。

おんなって、いいなあ。やさしいし、ちから強い。
ずばずばしていて、やわらかい。
わたしは、女友達に一刀両断されるのが、わりと気に入っている。
「だめだよ~、そのおとこ~」とかね 笑 
いわれると、なんかせいせいする。

そうしてまた明日、男子にやさしくできるのかも~~ 笑 感謝。

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2015年4月 8日 (水)

ミュウ4

そのひとは

空中に浮かび

かぜのなかにすわっていた。

わたしとたいしてかわらないおおきさで、

すこし年取った様子だった。

ひふは浅黒く髪は銀色でながいしっぽをもっていた。

かぜのなかにすわるなんて

ずいぶんひねくれてるなあとおもったけれど、

なんだかハンモックにゆられてるように心地よさそうで

すっかりゆるんだようすで「やあ」

といった。

だぶだぶのシャツのなかから

ちいさないきものがでてきた

ねずみのようなけむしのようなりすのようなへんないきもの

そのいきものは強い風にあおられて

ふっと、飛ばされたが

よくみると細い糸でそのひとにつながっていた。

蜘蛛のようでもあるな。。

とおもった。

。。。。

わたしはかるく会釈をして

かぜにのりたかくのぼった。

かぜにすわるなんてどうやるんだろう。

わたしは

かぜのなかで

とどまることはできない。

だからいつも

ひとりでとんでいくんだ。

。。。。。

眼下にはちりはじめた桜が

けむるようにうすピンクで

春はらんまんとこのときをあじわい

さあ、これからどうするの?

とそこらじゅうに問いかけている。

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KENJI3

ぼくはいつも平和のために戦ってきた。

誤解を恐れずに言うなら、

ぼくは戦いが好きだ。

自分のすべての感覚を研ぎ澄まして、

アドレナリンが放出されて

ぼくはひとつの意志になる。

余計なことは何も考えずに

そのストイックな快感に身を任せるのだ。

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

よけいなこと?

きみはよけいなことがすきだった。

。。

任務を終えた僕らが去った後の

あの村のことを思うのは

よけいなことだ。

いつかきみに戦いの話をしているとき

きみはぼくに

あの村のことをこまかくたずねた。

きみとおなじような女のことや

こどものことを。

ぼくがすこしふきげんになったので、

きみはまた、ぼくの胸に耳をつけて

話の内容ではなく声の音楽を楽しむように

くすくすとわらっていた。

きみはあのときほんとうに

わらっていたのだろうか。

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

ぼくはやがてまた

渦に巻き込まれていくだろう。

きみのこともよけいなことも、とどかない渦の中へ

それはぼくののぞむ

シンプルで美しいひとつのいきかたではないだろうか。

ぼくはいつも平和のために戦ってきたんだ。

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2015年4月 7日 (火)

ジャニス・ジョプリン

19歳のころ、当時だいすきだったギタリストの彼のうちではじめてきいて、

ショックを受けた。

歌ってこんなに力があるんだ。

それからいろんなヴォーカリストを好きになったけど、

ジャニスは別枠。

当時はその秘密が知りたくて、なんども聞いてコピーしたけど、

今はもうめったにきかない。

でも、自分を見失ったとき、

彼女の歌をきくと、じぶんをとりもどす。

いろんなことがあって、久しぶりにもうだめかと思っていた。

絶望とかどん底にはめっぽう強いつもりだったのに 笑

わたしにとって必要なものは

みんなジャニスの歌に入っている。

CDでもっているのはベストアルバムだけなので、いろんな歌が入っている。

つよいのや、情けないのや、優しいのや、ぐちっぽいのや。

声の力とリズムとメロディーの自由さにうれしくなる。

なんかいきいても、

しみてくる。

わたしがもどってくる。

ほら。

きっと大丈夫

自分はあんなふうに死んでおいて

どうしてわたしに

生きる力をくれるんだろう。

ジャニスの歌には

私にひつようなものが

みんな、

はいってるんだ。

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2015年4月 6日 (月)

うたをつくりうたうこと

それはもうほんとうに、自分のいちばんやわらかなうちがわを外側にひっくり返すことで、

なんとか「うた」というつくりものに整えてはいるけれど、

事実でも作り話でもそれは、しんじつなので、

いつもとても怖いことをしていると思う。

なんでこんなにおそろしいことを、20数年も続けているのか、ばかなのかとおもうが、

まあ,ばかなんだろうけど、そのほかには、

それいがいにひととつながるやり方をわからないからなのかもしれない。

子どものころから、人のこころの不思議を思っていた。

ちかづくのはむずかしい。ふれるのはもっとむづかしい。

でもみちをつなげたい。

どうしたらちょくせつ触れるのか。

たぶんその答えのひとつが音楽で、うたうことで。

そしてわたしは

孤独なほうや寂しいほうに強くひかれるようなので

なかなかたのしいうたはつくれないのです。

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