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2015年3月

2015年3月23日 (月)

世界のおかあさん

昨日は「世界のおかあさん」をうたった。
 
この歌はひとり目の子ができてふたり目の子がおなかにいるとき、
湾岸戦争が始まって、悲しみと希望の中でできた歌です。
まだ27歳だった。
想いだけでできてるような歌だった。
でも当時の世界の状況とあいまってたくさんの場所で歌わせてもらい、
いろんなひとにあいしてもらった歌だった
でも同時に人を傷つけた歌でもあった。
 
お母さんになりたくてもなれない、子どもを愛したくてもうまく愛せない、ひとたち
はひそかに傷ついた。
母性礼賛ととらえられて女性解放に尽くしてきた人たちに非難された。
わたしの世界の認識のしかたがあますぎるとネット上でたたかれたことも。。
 
自分で意識したわけではないけれど、メッセージのある歌をうたうことは
そういうことなんだ、
と、覚悟した。
 
うたいながらいつも、そのことをおもう。
その人たちのかなしかったことや、傷ついたことや、怒りを思う。
思いながら、うたう。
それでもやはり、
世界は思いで、つながっていくと信じる。
 

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2015年3月12日 (木)

そとへでよう

大気がいのりにみちている。

「世界はうつくしい」とおもうひとときだ。

このちからは本当はなによりもつよいのに

いつも一瞬で変容してしまう。

くぎられていてはいけない。

思いの発するところのそばに

さわれるところへ。

きこえるところへ。

こえがとどくところへ。

くぎられていてはいけない。

わたしは

よわい。

わたしをつよくするものはいつも

だれかわたしのそとにいるもの。

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2015年3月10日 (火)

ミュウ3

どこかう~んとたかいところで、

つめたさとあたたかさが入り組んでいるので

今夜はかぜがつよい。

春の雨が冷たく降った後

かえるたちは

すこしとまどっている。

今年の卵は

少ないかもしれないな。

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

かつて一緒に暮らしたわたしのこどもたちはおとなになり

新しい春にいそがしくしているだろうか?

ずうっとむかし一緒に暮らした男は

だれかとしあわせになっているだろうか?

わたしはまたひとりで、

夜のそらを漂っているが

それがあんがい気に入っている。

さみしいきもちよりも満ち足りた気持ちで暖かい場所にいたころは

なぜかすこし不安だった。

今はとてもさみしくて、それがとても正当に思える。

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

けんじくんの

理不尽さや、強引さや無理解に

わたしはひかれた。

私に組しない

わたしになじまない

わたしにまざらない

そういうあなたがすきだった。

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

かぜはながれて、

わたしたちをあるべきばしょにはこんでいく。

さからってもやがて

わたしはまたここへもどってくる。

すこし孤独で、

限りなく自由なそらに。

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KENJI2

ぼくは今むしろ多少の危険を伴う場所に行きたいとのぞんでいる。

自分を目いっぱい使わねばならないようなところへ。

うつろの入り込む余地のないくらい。

きみはいつもふらりとやってきて、ぼくをつれだした。

そこは川原だったり、

アスファルトの道端だったり、

公園の高い木の根元だったりした。

ぼくらはいつもふらふらとあるいた。

あるいは、風が吹く場所でキスをした。

それからくらがりで、

だきあった。

きちんとした場所ではなく

いつも

「そこいらへん」で 笑

きみにそそのかされている

とおもうのが

ぼくはほんとうは

とても

楽しかったよ。

僕の日々はまたきちんとながれだした。

予定されたとおりに。

未来は

不透明だが、

ぼくはぼくの所属にしたがって

すすんでいくつもりだ。

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2015年3月 8日 (日)

KENJI 1

かたちというのはある程度必要なものだと思う。

ぼくは人よりすこし大き目の体格をしており、

規律のきびしめな種類の仕事に従事している。

時々こころがゆれるのを自覚するが、ゆれていては先に進まないので、

深く考えないことにしている。

ーきみは僕に、もっと揺れ動いてほしかったのかもしれない。ー

きみが僕を訪れなくなってから、

何度かこころをよぎったことだ。しかし、

それももう考えても仕方のないこと。

ちいさなきみの体は、いつもぼくのからだの首の辺りに位置して、

僕の首の後ろのたてがみを指にまきつけていた。

「やわらかいね」といって、いつもさわった。

きみはいつも風をまとってあらわれた。

「空のたかくに行き過ぎて風が離れるのにタイムラグがあってじかんがいるの」

という説明は今でもよくわからないが 笑

今年はまた、新たな現場に派遣されることになりそうだ。

世界はまたおおきくうごいていく。

意志にかかわらず、ぼくらはうずにまきこまれていくのを

こばむことはできないのだ

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2015年3月 6日 (金)

ミュウ2

しげみの中で眠っていたら、「コ、コ、コ。。。」と声がした。

あちらでも、こちらでも。

私は声に囲まれる。

動かずに耳に集中を集めた。気配は皆ひとつの方向に向いている。

ー池に。ー

控えめな声、だがしかし強い衝動。

ひきがえるたちだ。

今日は満月。すこしうずうずする。

体を動かすと、気配ははっと固くなる。

ごめん、と思ってそのまま空に出る。

つきあかりに梅の花がぼうっと浮かび上がる。

冷たい風の冷たい感じもすこしゆるっとして、

けんじくんのいない春がはじまっていた。

池は、ひきがえるたちの

暴力的なよろこびにあふれ

春は終わりと始まりを含んでどこまでもうすぼんやり。

わたしは空の高いところで、

すこしだけ泣いた。

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2015年3月 5日 (木)

恐怖のグリル

私の家族は娘も息子も私もおおざっぱといわれるO型。
そしてそのせいにしたいところだけれど、全員いいかげ
んで、だらしない。...

まだ三人で暮らしてるころ。二人は高校生だったか。

ある夏のよるだったった。
わたしは、ライブか飲み会でいなくて、二人での夕食、魚を焼こうという
ことになったらしい。

久しぶりの焼き魚、さて、グリルをあけると。。。
そこはいちめんのうじ
    いちめんのうじ
    いちめんのうじ

「ぎゃあ~~」といって、閉めたあと。
しばらく絶句。。。
で、
ふたりでそうだんした。
後始末のやりかた、および分担を。

ひとりが、がんばって熱湯をかけ
もうひとりがさらにがんばって、ごみに捨てて、
どちらが洗ったのだろう。
たぶん、姉に勝てない弟だろうな、、
と予測しますが。。。

つくづく、いなくてよかった~~とおもいました。

そのあと、そこで魚やいて食べた姉弟に
「あっぱれ」をあげたいです。 笑

皆さんも夏場のグリルは使用後必ず洗ってね。

ひゃ~。
すみません、あたりまえですねえ~~

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小さき声のカノン

3月7日から、鎌仲ひとみ監督の「小さき声のカノン」
が、渋谷のイメージフォーラムで始まる。これは、
原発事故後のおかあさんたちのドキュメンタリー。
3月8日に国分寺のギーで上映会をするのは
「カノン便り」
これは、本編に入らなかったもう一つの物語。
ふたつは同じ作品の別の側面。
さて。この「カノン」はいずれもチェルノブイリ事故後の
母たちと、福島事故後の母たちのものがたり。
おかあさんは、誰もがもともと、ただの女の子だった。
ある日ちいさな命が生まれて守らなくちゃいけなくなって、
自分だって泣きながら、泣く子を育ててきたというのが
ほとんどのお母さんたちだろう。
それが、「放射能との折り合い」?をつけながら暮らす
ことになったら?
ある日突然。予想外に!でも、子どもの成長は
待ってくれない
 
誰が助けてくれるの?
え??
私が助けるしかないじゃん!!
 
たぶんそうやって、子どものことが大好きだから、
また、泣きながら、がんばってきたんだと思う。
 
そんなおかあさんたちの、記録なんだと思うのです。
 
★3月8日(日)国分寺Gieehttp://giee.jp/ 午後7時から ¥1000
 
 「カノンだより vol 4」 鎌仲ひとみ
エクペリミニライブ付
 
終わったらみんなでおしゃべりしましょう
 

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