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2014年6月 1日 (日)

父のこと

夏の便箋と封筒を買ってきたので、そのあたりの引き出しを整理していたら、母が生前録音した、子どもたちの幼いおしゃべりのカセットテープと、母の死をお知らせするための父が作った各方面に送ったはがきが出てきた。 母は専業主婦の範疇ではあったが、とても自由な人で、思いつくことを好きなようにやって楽しんでいた。父は専業主婦の範疇に入っている限りは、いつもそんな母を、かわいがっていたんだと思う。その、「範疇」があることが、私には、無理だったのだけれど 笑 かわいがっていたということをはっきりわかったのは、母が亡くなった後。私は母との関係のほうが深かったので、母の「範疇」に対する不満その他むかしの女性の理不尽な思いのほうに共感することが多かった。 母がいなくなって、父の言葉や想いがやっとストレートに私に届くようになった。 父は赤坂の老舗のひとり息子であったが、父を早くになくし、その後東京大空襲にあって、焼け出され、すべて失い戦後は貧しい母子家庭で育ち、大学にいけなかったコンプレックスを持つ。高卒で、小さな会社に就職し、大卒との格差を実感しながらの40年余りをすごしたんだと思うが、とてもまじめで、決められたことをこつこつと、正確に丁寧に誠実に行う性格は、会社の中で地味に認められ、77になる今でも、仕事の依頼がある。 わたし、1個も似なかった~ 笑 父の世界は会社と家族。趣味は特にない。 私はそれには今でも共感はできないのだけれど、 母に対する父の想いには時々感動する。 恋愛的要素とかではない、家族としての思い。 いとおしいという気持ち。 私はながく表現の場所にいて、思いを歌にすることが生活のようになっているけれど、父はおそらく80年近く生きてきてはじめて、自分の個人的な思いを、大勢の人に向かって文章にした。それは、 母の希望で家族葬にしたためにみんなに母の死をお知らせするはがきを出さなければならなくなった、その文章を作るとき。 ありきたりの文を使わずに自分の母への思いを、ひとりで考えて書いた。私は何も手伝わなかった。 短くてもそれは、母への愛があふれているんだよ~~涙 私は夫婦という選択をできなかった。 でも時々、夫婦っていいなあ。。とおもうんだよ。 たまにね 笑

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コメント

ェム(^^)も
母親が亡くなったら
父親との距離が
縮められるのかなぁ…
… … …
無理だなぁ〜
┐('〜`;)┌

投稿: ェム(^^) | 2014年6月 4日 (水) 11時51分

私の父は母と離婚したので、幼い頃に別れてしまいました。ある日、生活保護で生活した所で亡くなり、無縁仏と埋葬されました。
この前、母と横浜の外人墓地周辺を歩き、その際に大きな「無縁」のお墓を発見しました。母に「おっ!母ちゃんの元連れ合いが入ってるのとおんなじ墓があんぞ!」とデッカイ声で言ったら「お前の父親でもあんだよ!」と頭を叩かれました…。

投稿: 転石 | 2014年6月17日 (火) 14時04分

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