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2014年1月

2014年1月31日 (金)

たいせつなひとたち

大学で国分寺に来て、学校はすぐやめちゃったけど、そこで出会った音楽仲間や、ヒッピー的おとなたちや、障がいしゃのひとたちとのつながりが、わたしをいろんなところにつれていった。そこでであった素敵な人たちの何人かは、政治家になった。政治なんかに興味はなかったのが、人に惹かれて理解するようになった。
わたしは、いつも損得抜きに、本当に大切なことをもくもくとおこなう、つよくてやさしい、友人たちがだいすき。とっても尊敬するし、信用する。
だから、
できることはわずかだけど、
いつでもおうえんしている。

今日、そのうちのひとりから、てがみがきていた。
引退を考えていたようだけど、もうすこし、議員がんばることにしたみたい。

うれしい。
20年前から議員になっても、何にも変わらず、よれよれしたかっこうで、とびまわっている。はてしなくやさしいひと。
わたしは彼らにたのまれればいつでも、
街角で歌う。
トラメガでだって。
雨の中だって。

そういうふうに思える人にわたしたちの街の政治をやってもらいたいです。

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2014年1月26日 (日)

けんじくんのこと 6

夏があんまり気持ちよくて、ふらふらと海にもぐりにいったら、そのまま旅に出てしまった。

けんじくんといるのが、あんなに心地よかったはずなのに旅に出たらすぐに好奇心が勝った。

しばらくはそうだった。

毎日がものめずらしく、一筋縄では過ぎてくれなくて、わたしのからだ

ひとつで何もかも解決しなくちゃいけなくて、死に物狂いで、ここちよく、まるでひとりでぜん

ぜん大丈夫な心持になっていた。

そうしてかえってきたら、けんじくんが、「おかえり」といってくれた。

そのとき心の中がほわっとあたたかくうれしかった。

あれは、いったいどんな気持ちだったんだろう。

きっとわたしの中には矛盾するいろんな自分が入っているんだ。

そのどれもが本当なんだ。

私はそのどれもが本当ってとこから、いまだ動けないでいる。

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

久しぶりのけんじくんはやっぱり、大きくすこし、しかくくて、わたしよりももっと、

どれかを本当として、生きやすそうに見える。それでますます、どっしりしている。

首から背中の毛がすこし濃い色になった。その変わったかんじの感触を楽しんでいたら

また、昔話をはじめたようだ。

戦いに勝利した後の負けた村の、死んだ娘さんの生き残ったおばあさんのはなし。

けんじくんはいつも勇ましい戦いの話をするのに。

今日はすこしちがう。苦しそう。

けんじくんも時々、「どれもが本当」って気になるのかもしれないなと、おもった。

わたしがもっと大きかったら、抱きしめてあげるのに。

わたしはいつまでも、けんじくんの背中の毛をゆっくりとなででいた。

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2014年1月 7日 (火)

あいするものたち

今日生協の注文書2月分を書いていたら、娘の好物をあれこれ考えている自分に気がついた、そして、その娘も春には自立して、遠くへ行ってっしまう、そうしたら生協で私、なに頼むんだろう?
と思ったら泣けてきた。
息子が自立したときは、すい臓くらいの大きさのものが体から失われた気がした。
とてもとてもうれしいことなのに。。。。

来月でわたし、50年生きたことになる。
50年も生きると、愛する人がたくさんできている。
愛する音も。。。
どんなに愛していてもいつまでも一緒に入られない。
いつか分かれていってしまう。。
喪失感はいっぱい愛した証。
うう~
かなしい。
でも、やっぱり、あいしてしまうのじゃ。。。

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