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2013年8月

2013年8月30日 (金)

NEW CDのこと

ギターの加藤崇之さんとのCDが、やっと手を離れて、後は届くのを待つだけになりました。
8日に届くので、その日の夜のライブから、もって行きますー。

加藤さんのギターは、演奏能力や表現のすばらしさもすごいけど、なんと言っても、加藤さんが表現しようとしているものの深さに、私は一番惹かれています。

いろんな時間が今まで私を通り過ぎていって、家族や仲間たちとのにぎやかで素敵だったときとはまた別の、すこし孤独な時間のなかで、新たな次のサイクルを迎える気がしています。
そんな今までやこれから、ダークなものも美しいものも、エロも、憧れも、絶望も、よろこびも、みんな同じように大切にぶちこんで、音楽にしていきたい。
加藤さんの表現にそういう私をからめてみたい。
そうして、素敵な化学反応がおこったらいいな。。。。

という気持ちが実現したような、作品になりました。
6月23日のフライングティーポットでの、即興ライブ演奏の記録です。

タイトルは「アワイ」 あわい。。。間(あいだ)というような意味の日本の古いことばです。どこにも属さない場所、昼でも夜でもない時間、現実と妄想の狭間のようなイメージでつけました。

できあがりが、たのしみです。。。

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2013年8月28日 (水)

さみしい

終わりたくないのに、終わってしまう。

夏も。
わくわくする演奏も。
だいすきな人たちとの時間も。

でもそのときは、
いさぎよく
おわるのだ。
どんなに
さみしくなっても。

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2013年8月27日 (火)

カニ坂ロックフェスティバル

福生で30年続くこのロックフェス。
川のそばの公園で、いろんなお店がぐるっと囲んで。
なんと、ビールや、酒の店がいっぱいあること。
サザエのつぼ焼きなんてのもあった!
おいしい買い食いしながら、のみながら、
ひとときをたのしみました。

わたしはやっぱり、野外の演奏が大好きです。
みんな、踊ったり、さわいだり、寝ころがったり、飲んだりしながら思い思いに。
音はどこまでも、遠い空に吸い込まれていく。
遠い昔歌が生まれたころも、こんなふうにしてコクウに向かって人は音を解き放ったのか。
わたし、秋にはすこし旅をするけれどその際、こんな風に、いろんな空に、音を響かせてみようと、思ったのでした。
そうだ、海辺で。
いまだ、荒々しい爪あとの残るあの場所で、いのりのうたを。。。
そして、
知らない街角でも。
それから、
山の中のリバーブの素敵なあのトンネルで

うたはいつも私を、思わぬ遠くにつれていってくれます。

カニ坂ロックフェスティバル、ありがとう。
素敵な祭りでした。

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2013年8月22日 (木)

旧交

八月は懐かしい友達にたくさん会った。

高校一年のとき仲良くなった彼女は、今では一流企業のえらいひと。
わたしのいろんな弱みを知る、手ごわい女。そしてとても頼れる人。に、数年ぶりに会った。やっぱり、わかってくれるんだなあ。。

それから、つらいとき、いつも私の逃避場所になってくれた山梨の友人が病に倒れ、会いに行った。やはり、数年ぶり。同い年の異性の子どもがいて、ふたりは仲良しなので、結婚したら親戚だね、と、浮かれて子どもたちに白い目で見られている。。。
なんとか、げんきになってほしい。

もうひと組、わたしの大切な友人夫婦が山梨にいて、そちらにも、立ち寄る。
彼女の古い友人の訃報にいきあう。
ひと晩、旅立ちについて語り合う。
うん。やっぱり、時々会わないとだめだね。

そして今日、大手術から生還した、60年安保の生き残りのようなオヤジにあってきた。初めて彼にあったのは、19のとき。障がい者の全国大会で、発言していた彼を、ナンパしたのでした(笑)それからの、障がいの子どもたちと、お母さんたちとのかかわりが、若い私を大きく変えました。彼らがあまりにも、強くて美しくて。
そう,そのときの、強かった若き母だった、Mさんも一緒でした。
ああ、かれらも、私の数々の失敗をよ~く知る人たちです。

古い絆は、なにか、ほっとさせられる。

出会えたことと、今あなたがここにいることに、感謝。

夏が、 過ぎていくね。

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2013年8月16日 (金)

戦争

わたしのなかには、優しい気持ちがある。
いのちを愛する母のような気持ち。

同時に私の中には残虐な気持ちがある。
小学生のとき、一人の弱い子をみんなでいじめてるのを見るのが、
ほんとはすこし気持ちよかった。

その自分を確実に認識したとき、わたしは、逃げようとした、が、できなかった。
目をそらせなかった。

自分だけじゃないと、思う。誰の心の中にも、いろんな自分がいて、そのどれかが、たまたま強く現れているだけ。何かの拍子で、かんたんに反対側の自分にくつがえる。

だから、わたしには、みんなが必要。私を支えてくれる。
わたしがわたしのすきな私でいられるように。
みんなの優しい気持ちや、強い想いが、いつもわたしをこの場所にいさせてくれる。
歌っていると、聞いてくれてるみんなの優しい気持ちが波のように私を包み込むことがある。
ひとのやさしさは、すごいエネルギーだ。

でも、やはり私の中には「それ」がある。ひそかに出口を探している。
戦争を思うとき、そういう「連中」を非難してるとき、
ちくちくと私を、内側から刺す。

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2013年8月14日 (水)

永遠の少女

私は長女である。
母の元に一番初めに生まれた女の子は多かれ少なかれ、母との確執を持つように思う。
愛と同じ深い確執。
私の母は寝付いてから亡くなるまでに、たっぷり時間をかけてくれたので、わたしは母との確執を生きているうちにじっくり見つめることができた。
言葉を換えれば、死にそうな母に、娘としてのわだかまりを、ばんばんぶつけていた、ということになる。ひどいもんだ。

母はある意味、永遠の少女であった。
かわいくて、潔癖で、やさしくて、夢見がちで、か弱くて、涙もろく、いつもきれいにおしゃれだった。
彼女にとって、10代半ばから私のやらかした数々の自由すぎる行動は、もうほんと、どうしていいかわからなかったんだろうな。
父はまた、永遠のおぼっちゃまみたいな人なので、母を助けてわたしを、叱る、ということもできなかったし。
今はこんなんなったけれど、わたしだって15とかそのころは、ガラスのハートだったので、私から目をそらす両親にずいぶん傷ついたのでした。

でも、今ならわかる。
母が異質な私を、何とか理解しようとしてたこと、あのころの母が頼る人がいなくて悩んでいたこと。

寝たきりになってからの時間に、私と母は、私が生まれてからの時間をさかのぼり、いっしょにいくつもの糸の絡まりを解いたのかもしれません。
私は何度か若い20代の母の苦悩に出会い、娘のように抱きしめてあげたくなりました。
わたしと母の間にはお互いを大切に思っているという絶対的な信頼感だけがあって、だからひどいことも言えてしまったのかもしれない。

お盆、のしわざですかね。

死んだ人のことを、思い出します。



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2013年8月 4日 (日)

いつか妖怪になる日まで

先日、ばったり、久しぶりの知り合いにあった。
7年越しの癌だった、つれあいを亡くした、という。
最後まで、家で、終末医療の専門家の助けを借りながらもひとりで(!)見取ったという。」
さばさばした様子の彼女は柔らかな表情で、
「私、どこまで強くなるんだろう」といった。
とても優しい顔だった。
こういう女の顔を、私はとても美しいと思う。

生まれくるもの、死にゆくもの、かれらを愛すること。
それらに正面からがっぷりかかわり、
美しい物語も、悲しい涙も、うちに潜む醜さも、憎しみも、喜びも。
みんなみんなうけとめて、どんどん器を深くしていく
しわの刻まれた、使い古された女たちの、
うつくしいこと。

いつか女をこえて、人であることもこえて、
妖怪になる日まで。
私はそんな女を歌いたい。

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